余部鉄橋空の駅
明治の最高技術の結晶、日本一の規模を誇った余部鉄橋。コンクリート橋に架け替えられましたが、3本の橋脚は現地保存され、余部鉄橋「空の駅」展望施設として生まれ変わった。高さ40mから見る日本海の景色は絶景で、橋脚下を望む覗き… 続きをみる
明治の最高技術の結晶、日本一の規模を誇った余部鉄橋。コンクリート橋に架け替えられましたが、3本の橋脚は現地保存され、余部鉄橋「空の駅」展望施設として生まれ変わった。高さ40mから見る日本海の景色は絶景で、橋脚下を望む覗き… 続きをみる
江戸中期の名画家・円山応挙とその弟子たちが描いた13部屋の障壁画などがあり、別名「応挙寺」とも呼ばれ、多くの人々が訪れている。寺の中心に位置する仏間の十一面観世音菩薩(国指定重要文化財)を守る立体曼陀羅が、客殿13室に障… 続きをみる
古事記や日本書紀にも登場する歴史の古い町。出石城跡や辰鼓楼をはじめ、昔ながらの町屋が残された碁盤の目のような町並みが楽しめる。また、出石といえば名物「出石皿そば」!白い出石焼きの小皿に盛り分ける独特の「皿そば」スタイルは… 続きをみる
江戸時代に公用で生野代官所を訪れた際に宿泊が必要となったときの「郷宿」。江戸からの巡見使など要人が泊まった記録が残っている。現在はギャラリーや住民の交流の場のほか、観光客の憩いの場としても活用され、昔の史料やおもちゃなど… 続きをみる
独特の赤茶色の土壁と大きな切妻壁、長い壁面、そして太鼓楼が印象的。内部・外部ともに建設当時の様子が比較的よく残っており、廻り舞台、奈落、花道といった貴重な劇場機構など、明治期に残る芝居小屋としては近畿地方に現存する唯一の… 続きをみる
昭和初期の和風建築と大正期のタイル貼り洋館が独特の雰囲気を醸し出している。洋館を含む東側の建物は、播但鉄道の祖である浅田家の分家として建てられ、西側の町屋は吉川家の分家として建てられた。蔵はギャラリーとして活用されている… 続きをみる
官営生野鉱山に勤務していた官吏の旧宿舎。生野に現存する職員住宅の中でも最も古く、日本近代の生活様式を残す貴重な遺構。名優・志村喬は旧生野町出身であり、生家も「甲社宅」のうちの1棟だった。志村喬記念館としてゆかりの品々を展… 続きをみる
明治11年の鉱脈再発見により、生野鉱山の支山として稼働。大正6年に閉山したが、その後、明延鉱山で採鉱された鉱石の選鉱場になり、最盛期には東洋一の規模を誇った。インクラインやシックナーなどを見ることができる。選鉱場前にある… 続きをみる
神子畑川に架けられた道路橋で、神子畑鉱山で採掘された鉱石を生野の精錬所へ運ぶ運搬路に建設された鋳鉄橋。鋳鉄橋とは鋳物で造られた橋のことで、全国的にも珍しい橋。美しく組まれたらん干やたて格子の横材には、日本的な特徴が見られ… 続きをみる