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「 第33回北前まつり」開催日のお知らせ

2019年5月3日(金・祝)開催

竹野では、「にぎわい、ふれあい北前船の里」をテーマに北前まつりを開催しています。今年のまつりも地域住民が一体となって行います。

北前船パレードやステージイベント、バザーなど盛りだくさん。

ぜひ、今年もご家族、知人、みなさまで竹野浜へお越しいただき楽しい時間をお過ごしください。

※詳しくは添付のチラシをご覧ください。

【お問合せ】

北前まつり実行委員会事務局

〒669-6201豊岡市竹野町竹野50-12(北前館内)

TEL0796-47―2020 FAX0796-47-2021

 

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「赤石・千本もちつき」と「潮垣(しおがき)」のおはなし

今年は、当初心配していたよりも雪が少ないですが、まだ寒い日が来ることも考えられます。
但馬地域の国道の状況は、「豊岡河川国道事務所」のホームページ をご覧ください。

兵庫県の道路状況がよくわかる「兵庫県道路総合管理システム」の道路情報は こちら をごらんください。

但馬地方の雪情報は、「たじま情報特急」のホームページ、「たじま雪ゆき情報」や天気予報のページを参考にしてください。「たじま雪ゆき情報」は、こちら

 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、積雪情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

 

最近では珍しくなった「千本もちつき」が、豊岡市赤石の兵主神社で行われます。

2月17日(日)、朝早くから地元の氏子たちが、五穀豊穣・無病息災・家内安全などを祈願しながら、1回に4斗を蒸すことができる大きな蒸し桶でもち米を蒸しあげ、午前10時ごろから4人のつき手が、順序良く「ホイ、ホイ」と気を合わせて、棒状の杵を使ってつきあげます。

写真は、以前のもちつきのようすです。

 

もちつきに先立って、氏子たちによりお堂のまわりを回って、千本のお札を納める「おせんどさん」とよばれるお参りがあります。

つきあがったもちは、あんもちにして神前にお供えし、11時ごろから神事が行われます。

神事が終われば、あんもちを各家庭に持ち帰って、家族みんなで健康と安全を願いながらいただきます。

神社の参道横には、「赤石」という地名のもとになったといわれる「赤い石」がみられます。

 

この地域には、「潮垣」の昔ばなしが伝わっています。

近年まで、円山川に近いこの地域は、深い沼地の田であり、現在のように土地改良がされるまでは、腰まで泥につかりながら「田舟」を使いながら苦労して稲作をしていました。

 

その昔のお話です。

毎年、夏になり日照りが続くと、円山川から海の塩水が上がってきて、田畑が枯れてしまい、農民はみな困っていました。

ある日、どこからかやってきたおさむらいが、村人の難儀を見かね、海水を防ぐ堤防「潮垣」を作るよう知恵を授けました。

しかし、農民たちは生活に余裕もなく、ましてや資金もないので、誰もこのとほうもない話に乗りませんでした。

そこでおさむらいは、「工事にかかる金は知り合いが助けてくれることになったので、心配はいらない。」と村人を説得し、工事にとりかかりました。

完成間近になって村人がお金の心配をすると、「もうすぐ金がこう。(お金が来るだろう)。」といって、かまわず工事を進めさせました。

りっぱな堤防が完成したので、村人がもう一度催促すると、さむらいは「あれはウソだ。こういわないとだれも取りかからないので、悪いがみんなをだまして工事をさせた。」と言って、いきなり腹を切って自害してしまいました。

村人たちはびっくりしましたが、りっぱな「潮垣」のおかげで、今まで毎年悩まされていた塩水の心配がなくなり、おコメもたくさん取れるようになりました。

村人たちは、誰とも知れないおさむらいに感謝し、その霊を弔うため地元の兵主神社の境内に「若宮神社」を建て、毎年供養するようになったということです。

「但馬の昔話2」(加芝輝子著・豊岡市立図書館蔵)参考

 

 

兵主神社は、地元の人によると天智天皇白鳳時代の創建と言われ、醍醐天皇の時代延長9年(927年)にまとめられた「延喜式」にその名があるそうです。

もちつきの由来は、昭和27年の火災のため資料が残っていませんが、約220年前の寛政5年(1793年)に神社を再建した時の棟札に「八五郎 餅米壱俵」の記載がみられるので、そのころすでにもちつきは行われていたのではないかと言われています。

「千本もちつき」は、建物や堤の工事などの時の「土がため」のようすをあらわしているともいわれますので、この昔ばなしとの関係もあったのかな、などといろいろ思いをめぐらすことができます。

 

地元に伝えられている格言です。

「もちつく家はもちゃつかん。もちゃつく家はもちつかん。」

※「もちゃつく」とは「もめごとがおきる」ことの方言です。

 

家族や地域のひとびとが心を合わせて、「千本もちつき」のようにお互いに助け合っていくことが大切だと教えてくれます。

 

 

 

 

「赤石・千本もちつき」と「潮垣(しおがき)」のおはなし

今年は、当初心配していたよりも雪が少ないですが、まだ寒い日が来ることも考えられます。
但馬地域の国道の状況は、「豊岡河川国道事務所」のホームページ をご覧ください。

兵庫県の道路状況がよくわかる「兵庫県道路総合管理システム」の道路情報は こちら をごらんください。

但馬地方の雪情報は、「たじま情報特急」のホームページ、「たじま雪ゆき情報」や天気予報のページを参考にしてください。「たじま雪ゆき情報」は、こちら

 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、積雪情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

 

最近では珍しくなった「千本もちつき」が、豊岡市赤石の兵主神社で行われます。

2月17日(日)、朝早くから地元の氏子たちが、五穀豊穣・無病息災・家内安全などを祈願しながら、1回に4斗を蒸すことができる大きな蒸し桶でもち米を蒸しあげ、午前10時ごろから4人のつき手が、順序良く「ホイ、ホイ」と気を合わせて、棒状の杵を使ってつきあげます。

写真は、以前のもちつきのようすです。

 

もちつきに先立って、氏子たちによりお堂のまわりを回って、千本のお札を納める「おせんどさん」とよばれるお参りがあります。

つきあがったもちは、あんもちにして神前にお供えし、11時ごろから神事が行われます。

神事が終われば、あんもちを各家庭に持ち帰って、家族みんなで健康と安全を願いながらいただきます。

神社の参道横には、「赤石」という地名のもとになったといわれる「赤い石」がみられます。

 

この地域には、「潮垣」の昔ばなしが伝わっています。

近年まで、円山川に近いこの地域は、深い沼地の田であり、現在のように土地改良がされるまでは、腰まで泥につかりながら「田舟」を使いながら苦労して稲作をしていました。

 

その昔のお話です。

毎年、夏になり日照りが続くと、円山川から海の塩水が上がってきて、田畑が枯れてしまい、農民はみな困っていました。

ある日、どこからかやってきたおさむらいが、村人の難儀を見かね、海水を防ぐ堤防「潮垣」を作るよう知恵を授けました。

しかし、農民たちは生活に余裕もなく、ましてや資金もないので、誰もこのとほうもない話に乗りませんでした。

そこでおさむらいは、「工事にかかる金は知り合いが助けてくれることになったので、心配はいらない。」と村人を説得し、工事にとりかかりました。

完成間近になって村人がお金の心配をすると、「もうすぐ金がこう。(お金が来るだろう)。」といって、かまわず工事を進めさせました。

りっぱな堤防が完成したので、村人がもう一度催促すると、さむらいは「あれはウソだ。こういわないとだれも取りかからないので、悪いがみんなをだまして工事をさせた。」と言って、いきなり腹を切って自害してしまいました。

村人たちはびっくりしましたが、りっぱな「潮垣」のおかげで、今まで毎年悩まされていた塩水の心配がなくなり、おコメもたくさん取れるようになりました。

村人たちは、誰とも知れないおさむらいに感謝し、その霊を弔うため地元の兵主神社の境内に「若宮神社」を建て、毎年供養するようになったということです。

「但馬の昔話2」(加芝輝子著・豊岡市立図書館蔵)参考

 

 

兵主神社は、地元の人によると天智天皇白鳳時代の創建と言われ、醍醐天皇の時代延長9年(927年)にまとめられた「延喜式」にその名があるそうです。

もちつきの由来は、昭和27年の火災のため資料が残っていませんが、約220年前の寛政5年(1793年)に神社を再建した時の棟札に「八五郎 餅米壱俵」の記載がみられるので、そのころすでにもちつきは行われていたのではないかと言われています。

「千本もちつき」は、建物や堤の工事などの時の「土がため」のようすをあらわしているともいわれますので、この昔ばなしとの関係もあったのかな、などといろいろ思いをめぐらすことができます。

 

地元に伝えられている格言です。

「もちつく家はもちゃつかん。もちゃつく家はもちつかん。」

※「もちゃつく」とは「もめごとがおきる」ことの方言です。

 

家族や地域のひとびとが心を合わせて、「千本もちつき」のようにお互いに助け合っていくことが大切だと教えてくれます。

 

 

 

 

「赤石・千本もちつき」と「潮垣(しおがき)」のおはなし

今年は、当初心配していたよりも雪が少ないですが、まだ寒い日が来ることも考えられます。
但馬地域の国道の状況は、「豊岡河川国道事務所」のホームページ をご覧ください。

 

 

 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、積雪情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

 

最近では珍しくなった「千本もちつき」が、豊岡市赤石の兵主神社で行われます。

 

 

2月16日(日)、朝早くから地元の氏子たちが、五穀豊穣・無病息災・家内安全などを祈願しながら、1回に4斗を蒸すことができる大きな蒸し桶でもち米を蒸しあげ、午前10時ごろから4人のつき手が、順序良く「ホイ、ホイ」と気を合わせて、棒状の杵を使ってつきあげます。

 

写真は、以前のもちつきのようすです。

 

 

 

 

 

 

もちつきに先立って、氏子たちによりお堂のまわりを回って、千本のお札を納める「おせんどさん」とよばれるお参りがあります。

 

 

つきあがったもちは、あんもちにして神前にお供えし、11時ごろから神事が行われます。

 

 

 

 

神事が終われば、あんもちを各家庭に持ち帰って、家族みんなで健康と安全を願いながらいただきます。

 

神社の参道横には、「赤石」という地名のもとになったといわれる「赤い石」がみられます。

 

 

 

この地域には、「潮垣(しおがき)」の昔ばなしが伝わっています。

 

近年まで、円山川に近いこの地域は、深い沼地の田であり、現在のように土地改良がされるまでは、腰まで泥につかりながら「田舟」を使いながら苦労して稲作をしていました。

 

その昔のお話です。

 

毎年、夏になり日照りが続くと、円山川から海の塩水が上がってきて、田畑が枯れてしまい、農民はみな困っていました。

 

ある日、どこからかやってきたおさむらいが、村人の難儀を見かね、海水を防ぐ堤防「潮垣」を作るよう知恵を授けました。

 

しかし、農民たちは生活に余裕もなく、ましてや資金もないので、誰もこのとほうもない話に乗りませんでした。

 

そこでおさむらいは、「工事にかかる金は知り合いが助けてくれることになったので、心配はいらない。」と村人を説得し、工事にとりかかりました。

 

完成間近になって村人がお金の心配をすると、「もうすぐ金がこう。(お金が来るだろう)。」といって、かまわず工事を進めさせました。

 

りっぱな堤防が完成したので、村人がもう一度催促すると、さむらいは「あれはウソだ。こういわないとだれも取りかからないので、悪いがみんなをだまして工事をさせた。」と言って、いきなり腹を切って自害してしまいました。

 

村人たちはびっくりしましたが、りっぱな「潮垣」のおかげで、今まで毎年悩まされていた塩水の心配がなくなり、おコメもたくさん取れるようになりました。

 

村人たちは、誰とも知れないおさむらいに感謝し、その霊を弔うため地元の兵主神社の境内に「若宮神社」を建て、毎年供養するようになったということです。

 

「但馬の昔話2」(加芝輝子著・豊岡市立図書館蔵)参考

 

 

兵主神社は、地元の人によると天智天皇白鳳時代の創建と言われ、醍醐天皇の時代延長9年(927年)にまとめられた「延喜式」にその名があるそうです。

 

もちつきの由来は、昭和27年の火災のため資料が残っていませんが、約220年前の寛政5年(1793年)に神社を再建した時の棟札に「八五郎 餅米壱俵」の記載がみられるので、そのころすでにもちつきは行われていたのではないかと言われています。

 

「千本もちつき」は、建物や堤の工事などの時の「土がため」のようすをあらわしているともいわれますので、この昔ばなしとの関係もあったのかな、などといろいろ思いをめぐらすことができます。

 

地元に伝えられている格言です。

「もちつく家はもちゃつかん。もちゃつく家はもちつかん。」

※「もちゃつく」とは「もめごとがおきる」ことの方言です。

 

家族や地域のひとびとが心を合わせて、「千本もちつき」のようにお互いに助け合っていくことが大切だと教えてくれます。

 

 

 

 

2019年度のイベント日程
2019年の主なイベントをお知らせします。 出石初午大会  3/15~17 出石桜まつり  3/23~4/30 出石そば喰い大会  4/21(エントリー 3/18~4/10) ほたる祭り  6月中旬 愛宕の火祭り 8月2 […]
但馬の春、節分の行事

もうすぐ立春です。今年は、当初心配していたよりも雪が少ないですが、まだ寒い日が来ることも考えられます。


但馬地域の国道の状況は、「豊岡河川国道事務所」のホームページ をご覧ください。

兵庫県の道路状況がよくわかる「兵庫県道路総合管理システム」の道路情報は こちら をごらんください。

但馬地方の雪情報は、「たじま情報特急」のホームページ、「たじま雪ゆき情報」や天気予報のページを参考にしてください。「たじま雪ゆき情報」は、こちら

 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、積雪情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

2月3日(日)は「節分」です。

文字どおり季節は「冬」から「春」へと移っていきますが、但馬に暮らす人たちにとっては、気持ちもひとしおのものがあります。

家庭でも「豆まき」や「巻きずし(恵方巻き)の丸かぶり」などを行いますが、各地の神社仏閣などでは「節分の行事」が行われます。

豊岡の町なかでも暮らしの中で引き継がれてきた行事があります。

豊岡市城南町(京口区)にある「京口庚申」では、「節分の星まつり」が行われます。

明け方から境内での「どんど焼き」に始まり、がん封じの「笹酒」や「甘酒」のふるまい、午後1時から「護摩木供養」の受付があります。

午後7時ころから、地区内の子どもたちを中心に、鈴とホラ貝を鳴らしながら各家庭から「厄払いの豆」を集めに市内を巡回します。

午後8時ごろから、庚申堂内で「厄除けの護摩木」の「お焚き上げ供養」が始まります。

「京口」は、豊岡の城下町から「京」への出入り口にあたることからその名がつけられたといわれます。

 

京口庚申は、庶民の信仰を集めています。

護摩木のお焚き上げ供養があります。

庚申堂の入り口には、サルの形をした石がそっと置かれています。

どんど焼きでお餅を焼いたり笹酒を温めたりしていただきます。

 

 

 

また、豊岡市中央町(寺区)の「立正寺」でも、「節分星祭」が行われます。

立正寺は京極家ともゆかりのあるお寺で、本堂の屋根瓦に「京極家の紋」があしらわれています。また、俳人「京極杞陽」の句碑もあります。

 

 

京極家家紋を配した本堂の瓦

「京極紀陽」の句碑

 

そのほかにも、各地で春を迎える行事がおこなわれます。

 

「豊岡の町なか」をぶらぶらと訪ね歩いてみてはいかがでしょうか。

 

但馬に春を呼ぶ、節分の行事

2月3日は「節分」、4日は「立春」です。

 

今年は、以前のように雪がある冬の豊岡の姿が見られましたが、ようやく積雪も少しづつ消えてきました。

 

まだまだ「節分寒波」や「立春寒波」などの言葉があるようにまだまだ寒い日が来ることも考えられます。


 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、積雪情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

2月3日は「節分」です。

 

文字どおり季節は「冬」から「春」へと移っていきますが、但馬に暮らす人たちにとっては、気持ちもひとしおのものがあります。

 

家庭でも「豆まき」や「巻きずし(恵方巻き)の丸かぶり」などを行いますが、各地の神社仏閣などでは「節分の行事」が行われます。

 

豊岡の町なかでも暮らしの中で引き継がれてきた「節分」の行事があります。

 

豊岡市城南町(京口区)にある「京口庚申」では、「節分の星まつり」が行われます。

 

 

明け方から境内での「どんど焼き」が行われ、「護摩木供養」の受付があります。

 

例年行われていた「もち焼き」やがん封じの「笹酒」・「甘酒」のふるまいなどは「新型コロナウイルス感染拡大防止」のため今年も取りやめになりました。

 

鈴とホラ貝を鳴らしながら各家庭から「厄払いの豆」を集める市内の巡回もなくなりました。

 

夕方からは、庚申堂内で「厄除けの護摩木」の「お焚き上げ供養」が始まります。

 

「京口」は、豊岡の城下町から「京」への出入り口にあたることからその名がつけられたといわれます。

 

 

京口庚申は、庶民の信仰を集めています。

 

護摩木のお焚き上げ供養があります。

 

庚申堂の入り口には、サルの形をした石がそっと置かれています。

 

どんど焼きでお餅を焼いたり笹酒を温めたりしていただきます。(「ふるまい」は今年は中止)

 

 

 

 

 

 

また3日には、豊岡市中央町(寺区)の「立正寺」でも、「節分星祭」が行われます。

 

立正寺は京極家ともゆかりのあるお寺で、本堂の屋根瓦に「京極家の紋」があしらわれています。

 

また、俳人「京極杞陽」の句碑もあります。

 

境内にある「妙見堂」の裏手には「京極家の姫君」の墓碑があります。

 

 

 

 

 

 

京極家家紋を配した本堂の瓦

 

 

「妙見大菩薩」を祀る「北辰殿」、横には「俳人・京極杞陽」の句碑、裏には「京極家の姫君」の墓碑があります。

 

「京極紀陽」の「金星に照らされながら雪道を」の句碑

 

「京極家姫君」の墓碑

 

そのほかにも、各地で春を迎える行事がおこなわれます。

 

江戸城下町の名残りをさがしながら「豊岡の町なか」をぶらぶらと訪ね歩いてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

平成31年第9回竹野浜オープンウォータースイミング大会参加者募集します!

 

平成31年第9回竹野浜オープンウォータースイミング大会参加者募集します!


昨年は台風の影響で中止になりましたが、今年も引き続き参加者を募集致します
日本の渚百選・快水浴場百選に選ばれている きれいな竹野浜海水浴場で泳ぎませんか?
また例年好評の大会前日に、竹野へご宿泊される方は海鮮バーベキューを行います。ぜひ申し込み下さい。
開 催 日 平成31年7月7日(日)
会  場 兵庫県豊岡市竹野町竹野 竹野浜海水浴場
競技種目 オープンウォータースイミング(OWS)
参加資格

1、参加種目の距離を一定時間以内で完泳できる自信のある方で、定期的に水泳練習を行っている心身ともに健康な方。
2、既住症(内臓疾患・心臓疾患・呼吸器疾患等)のある人は出場は不可。
3、その他主催者が不適当と認める人の出場は不可。
申 込  期 間  平成31年2月1日(金)~5月31日(金)17時必着
定   員 500名
参 加 料 2.5kmの部 7,000円 1.0kmの部5,000円(高校生以上) 3,000円(小中学生)※4年生以上
申込方法
〇インターネットからの申し込みはこちらから→JTBスポーツステーション
〇郵送又は、FAXでお申込みの方は,たけの観光協会までご連絡下さい。
また、申込書はこちらからダウンロードできます→第9回竹野浜OWSチラシ表 第9回竹野浜OWSチラシ申込チラシ
※参加料納入済の方が優先されますので、予めご了承下さい。
注意事項

(1)申込みに関しては、誓約事項及び申込規約を十分理解し承諾したうえでお申込み下さい。
(2)ウエットスーツ、ラッシュガードの着用は自由です。フィン、プルブイ、ヘルパーなどの用具の使用は不可です。
(3)主催者は傷病や紛失、その他の事故に際し、応急処置を除いて一切の責任は負いません。
(4)自己都合による申し込み後の種目変更、キャンセルはできません。
(5)年齢・性別の虚為申告、申込本人以外の出場(不正出場)は認めません。その場合出場が取り消されることもあります。
(6)大会出場中の映像・写真・記事・記録等のテレビ・新聞・インターネット等への掲載権は主催者に属します。
(7)台風接近のときは、事前に中止することもあります。中止の場合でも開催の延期はいたしません。波浪注意報が出た場合は中止となります。
(8)中止の場合でも、参加料は返却いたしません。

ご宿泊のお申込み

たけの観光協会でお宿の手配を致します。
○お一人さまでのお申込みの場合は他の方との相部屋となります。
○特定の方同室のご希望がある場合は、お申込時にお知らせ下さい。
受付・お問い合わせ先 たけの観光協会 〒669-6201 兵庫県豊岡市竹野町竹野17-22
TEL0796-47-1080 FAX0796-47-1336
9時00分~17時(日・祝はお休みとさせていただきます。)

 

震災被害からの復興、豊岡震災復興建築群を訪ねて

これからお車でお越しになる場合は、必ず「冬用タイヤ」の着用をお願いします。


但馬地域の国道の状況は、「豊岡河川国道事務所」のホームページ をご覧ください。

兵庫県の道路状況がよくわかる「兵庫県道路総合管理システム」の道路情報は こちら をごらんください。

但馬地方の雪情報は、「たじま情報特急」のホームページ、「たじま雪ゆき情報」や天気予報のページを参考にしてください。

「たじま雪ゆき情報」は、こちら

 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、積雪情報などを、随時更新してお知らせしています。


1月17日は、阪神・淡路大震災の発生した日に当たりますが、豊岡を含む北但馬地方は、関東大震災から2年たった大正14年5月23日、円山川河口付近を震源とする「北但大震災」に見舞われました。

「北但震災誌」によると、豊岡町の被害は地震による家屋倒壊とともに火災により1,800戸余りが焼失または全半壊、死傷者は380人にのぼったとあります。豊岡港地区や城崎も大きな被害を受けました。

円山川改修や耕地整理の途上であった豊岡市街地は、その後多くの支援を受けて復興へと歩みました。
当時の復興建築が、豊岡の市街地中心部に残っています。

豊岡市役所旧庁舎をはじめとする「復興建築群」について、当時の復興にかける思いや、特徴のある建物をさがし歩いてみませんか。

「がんばれ、震災復興!」の願いを込めて・・・




豊岡駅前通りの倒壊した建物

豊岡市内寺町(現在の中央町)付近

豊岡市役所旧庁舎(現在は旧郵便局はありません。)



旧県農工銀行(現在は「オーベルジュ豊岡1925」)



3戸続きの建物、それぞれに外観が違っています。



八芒星のレリーフがある建物