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「とよおかの春」を呼ぶ「本町稲荷」の「初午祭」

 

豊岡観光協会のフェイスブックをのぞいてみてください。豊岡の話題や、最新情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

 

但馬に春を告げる「出石初午大祭」は、3月15日(金)から17日(日)にかけて、豊岡市出石町の出石城址周辺で開催されますが、一足早く「豊岡のまちなか」でも、3月9日(土)に「本町稲荷」の「初午祭」が開催されます。

 

 

 

 

 

 

 

午後3時から神事があり、「大福引」や「おでん、たこ焼き」などの屋台、夕方には「もちまき」があり、毎年多くの参拝があります。

 

 

 

「本町稲荷」は「豊岡稲荷」ともいわれますが、豊岡の城下町の一隅、「神武山(じんむさん)公園」の北麓、豊岡市京町(旧町名:本町)にあります。

 

江戸時代、寛文8年(1668年)の創建といわれ、明治6年に村社になっています。

 

主祭神として、「宇賀魂命(うがたまのみこと)」を祀る「正一位稲荷大明神」ですが、境内には菅原道真を祭る天満宮(天神さん)も祀られ、毎年夏の7月25日には、「天神祭り」が行われています。

 

豊岡藩主となった「京極氏」が豊岡に転封されたときに勧請されたといわれますが、現在は「本区」を中心とした氏子さんたちが維持管理や祭礼の主催をしています。

 

 

元禄時代の豊岡城下町絵図にも当時の姿が記されています。

 

 

中段の左にある小さい池の右隣です。中央を東西(左右)に走る道路は、今も絵図の面影が残っています。

 

現在は、左端の折れ曲がったところから、三坂を登って豊岡高校方面から桜町に至る道路が通っています。

「とよおかの春」を呼ぶ「本町稲荷」の「初午祭」

 

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「豊岡のまちなか」に春を告げるといわれる「本町稲荷」の「初午祭」が3月11日に開催されます。

 

餅まき、福引、夜店屋台も復活しますが、「新型コロナウイルス」の感染防止にご協力ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本町稲荷」は「豊岡稲荷」ともいわれますが、豊岡の城下町の一隅、「神武山(じんむさん)公園」の北麓、豊岡市京町(旧町名:本町)にあります。

 

江戸時代、寛文8年(1668年)の創建といわれ、明治6年に村社になっています。

 

主祭神として、「宇賀魂命(うがたまのみこと)」を祀る「正一位稲荷大明神」ですが、境内には菅原道真を祭る天満宮(天神さん)も祀られ、毎年夏の7月25日には、「天神祭り」が行われています。

 

豊岡藩主となった「京極氏」が豊岡に転封されたときに勧請されたといわれますが、現在は「本区」を中心とした氏子さんたちが維持管理や祭礼の主催をしています。

 

 

元禄時代の豊岡城下町絵図にも当時の姿が記されています。

 

 

中段の左にある小さい池の右隣です。中央を東西(左右)に走る道路は、今も絵図の面影が残っています。

 

現在は、左端の折れ曲がったところから、三坂を登って豊岡高校方面から桜町に至る道路が通っています。

「 第33回北前まつり」開催日のお知らせ

2019年5月3日(金・祝)開催

竹野では、「にぎわい、ふれあい北前船の里」をテーマに北前まつりを開催しています。今年のまつりも地域住民が一体となって行います。

北前船パレードやステージイベント、バザーなど盛りだくさん。

ぜひ、今年もご家族、知人、みなさまで竹野浜へお越しいただき楽しい時間をお過ごしください。

※詳しくは添付のチラシをご覧ください。

【お問合せ】

北前まつり実行委員会事務局

〒669-6201豊岡市竹野町竹野50-12(北前館内)

TEL0796-47―2020 FAX0796-47-2021

 

PDFファイルはコチラ

↓↓↓

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「養殖わかめ収獲体験」参加者大募集!

来て!獲って!食べて!春わかめを一足先に!!!
山陰・日本海「養殖わかめ収獲体験」参加者を募集しています。
定員が少ないのでお早めにお申し込みください。


養殖わかめ収獲体験パンフレット(PDF)

開催日/平成31年3月10日(日)・17日(日)小雨決行 ※荒天時は24日に順延
時 間/10:30~13:00
場 所/三尾漁港(兵庫県美方郡新温泉町三尾)
定 員/各日20名 ※事前申し込みが必要です(先着順)
参加費/大人2,000円 子供1,000円
体験内容/
・わかめ養殖の説明
・養殖施設付近別船にて収獲見学
・入港後岸にて刈り取り体験
・収獲したわかめ、その他試食

※終了時間は進行状況により前後するおそれがあります。
※大人は中学生以上、子供は小学生、小学生未満は無料となります。
※当日は汚れてもいい服装をご用意ください。

●お申込み・お問合せ先(電話のみの対応となります)
浜坂漁業協同組合 諸寄支所
〒669-6753 兵庫県美方郡新温泉町諸寄3228
TEL.0796-82-1772(平日/9~12時・14~17時)

※この事業は日本海マリンツーリズム推進事業の助成を受けて行うものです。

「赤石・千本もちつき」と「潮垣(しおがき)」のおはなし

今年は、当初心配していたよりも雪が少ないですが、まだ寒い日が来ることも考えられます。
但馬地域の国道の状況は、「豊岡河川国道事務所」のホームページ をご覧ください。

兵庫県の道路状況がよくわかる「兵庫県道路総合管理システム」の道路情報は こちら をごらんください。

但馬地方の雪情報は、「たじま情報特急」のホームページ、「たじま雪ゆき情報」や天気予報のページを参考にしてください。「たじま雪ゆき情報」は、こちら

 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、積雪情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

 

最近では珍しくなった「千本もちつき」が、豊岡市赤石の兵主神社で行われます。

2月17日(日)、朝早くから地元の氏子たちが、五穀豊穣・無病息災・家内安全などを祈願しながら、1回に4斗を蒸すことができる大きな蒸し桶でもち米を蒸しあげ、午前10時ごろから4人のつき手が、順序良く「ホイ、ホイ」と気を合わせて、棒状の杵を使ってつきあげます。

写真は、以前のもちつきのようすです。

 

もちつきに先立って、氏子たちによりお堂のまわりを回って、千本のお札を納める「おせんどさん」とよばれるお参りがあります。

つきあがったもちは、あんもちにして神前にお供えし、11時ごろから神事が行われます。

神事が終われば、あんもちを各家庭に持ち帰って、家族みんなで健康と安全を願いながらいただきます。

神社の参道横には、「赤石」という地名のもとになったといわれる「赤い石」がみられます。

 

この地域には、「潮垣」の昔ばなしが伝わっています。

近年まで、円山川に近いこの地域は、深い沼地の田であり、現在のように土地改良がされるまでは、腰まで泥につかりながら「田舟」を使いながら苦労して稲作をしていました。

 

その昔のお話です。

毎年、夏になり日照りが続くと、円山川から海の塩水が上がってきて、田畑が枯れてしまい、農民はみな困っていました。

ある日、どこからかやってきたおさむらいが、村人の難儀を見かね、海水を防ぐ堤防「潮垣」を作るよう知恵を授けました。

しかし、農民たちは生活に余裕もなく、ましてや資金もないので、誰もこのとほうもない話に乗りませんでした。

そこでおさむらいは、「工事にかかる金は知り合いが助けてくれることになったので、心配はいらない。」と村人を説得し、工事にとりかかりました。

完成間近になって村人がお金の心配をすると、「もうすぐ金がこう。(お金が来るだろう)。」といって、かまわず工事を進めさせました。

りっぱな堤防が完成したので、村人がもう一度催促すると、さむらいは「あれはウソだ。こういわないとだれも取りかからないので、悪いがみんなをだまして工事をさせた。」と言って、いきなり腹を切って自害してしまいました。

村人たちはびっくりしましたが、りっぱな「潮垣」のおかげで、今まで毎年悩まされていた塩水の心配がなくなり、おコメもたくさん取れるようになりました。

村人たちは、誰とも知れないおさむらいに感謝し、その霊を弔うため地元の兵主神社の境内に「若宮神社」を建て、毎年供養するようになったということです。

「但馬の昔話2」(加芝輝子著・豊岡市立図書館蔵)参考

 

 

兵主神社は、地元の人によると天智天皇白鳳時代の創建と言われ、醍醐天皇の時代延長9年(927年)にまとめられた「延喜式」にその名があるそうです。

もちつきの由来は、昭和27年の火災のため資料が残っていませんが、約220年前の寛政5年(1793年)に神社を再建した時の棟札に「八五郎 餅米壱俵」の記載がみられるので、そのころすでにもちつきは行われていたのではないかと言われています。

「千本もちつき」は、建物や堤の工事などの時の「土がため」のようすをあらわしているともいわれますので、この昔ばなしとの関係もあったのかな、などといろいろ思いをめぐらすことができます。

 

地元に伝えられている格言です。

「もちつく家はもちゃつかん。もちゃつく家はもちつかん。」

※「もちゃつく」とは「もめごとがおきる」ことの方言です。

 

家族や地域のひとびとが心を合わせて、「千本もちつき」のようにお互いに助け合っていくことが大切だと教えてくれます。

 

 

 

 

「赤石・千本もちつき」と「潮垣(しおがき)」のおはなし

今年は、当初心配していたよりも雪が少ないですが、まだ寒い日が来ることも考えられます。
但馬地域の国道の状況は、「豊岡河川国道事務所」のホームページ をご覧ください。

兵庫県の道路状況がよくわかる「兵庫県道路総合管理システム」の道路情報は こちら をごらんください。

但馬地方の雪情報は、「たじま情報特急」のホームページ、「たじま雪ゆき情報」や天気予報のページを参考にしてください。「たじま雪ゆき情報」は、こちら

 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、積雪情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

 

最近では珍しくなった「千本もちつき」が、豊岡市赤石の兵主神社で行われます。

2月17日(日)、朝早くから地元の氏子たちが、五穀豊穣・無病息災・家内安全などを祈願しながら、1回に4斗を蒸すことができる大きな蒸し桶でもち米を蒸しあげ、午前10時ごろから4人のつき手が、順序良く「ホイ、ホイ」と気を合わせて、棒状の杵を使ってつきあげます。

写真は、以前のもちつきのようすです。

 

もちつきに先立って、氏子たちによりお堂のまわりを回って、千本のお札を納める「おせんどさん」とよばれるお参りがあります。

つきあがったもちは、あんもちにして神前にお供えし、11時ごろから神事が行われます。

神事が終われば、あんもちを各家庭に持ち帰って、家族みんなで健康と安全を願いながらいただきます。

神社の参道横には、「赤石」という地名のもとになったといわれる「赤い石」がみられます。

 

この地域には、「潮垣」の昔ばなしが伝わっています。

近年まで、円山川に近いこの地域は、深い沼地の田であり、現在のように土地改良がされるまでは、腰まで泥につかりながら「田舟」を使いながら苦労して稲作をしていました。

 

その昔のお話です。

毎年、夏になり日照りが続くと、円山川から海の塩水が上がってきて、田畑が枯れてしまい、農民はみな困っていました。

ある日、どこからかやってきたおさむらいが、村人の難儀を見かね、海水を防ぐ堤防「潮垣」を作るよう知恵を授けました。

しかし、農民たちは生活に余裕もなく、ましてや資金もないので、誰もこのとほうもない話に乗りませんでした。

そこでおさむらいは、「工事にかかる金は知り合いが助けてくれることになったので、心配はいらない。」と村人を説得し、工事にとりかかりました。

完成間近になって村人がお金の心配をすると、「もうすぐ金がこう。(お金が来るだろう)。」といって、かまわず工事を進めさせました。

りっぱな堤防が完成したので、村人がもう一度催促すると、さむらいは「あれはウソだ。こういわないとだれも取りかからないので、悪いがみんなをだまして工事をさせた。」と言って、いきなり腹を切って自害してしまいました。

村人たちはびっくりしましたが、りっぱな「潮垣」のおかげで、今まで毎年悩まされていた塩水の心配がなくなり、おコメもたくさん取れるようになりました。

村人たちは、誰とも知れないおさむらいに感謝し、その霊を弔うため地元の兵主神社の境内に「若宮神社」を建て、毎年供養するようになったということです。

「但馬の昔話2」(加芝輝子著・豊岡市立図書館蔵)参考

 

 

兵主神社は、地元の人によると天智天皇白鳳時代の創建と言われ、醍醐天皇の時代延長9年(927年)にまとめられた「延喜式」にその名があるそうです。

もちつきの由来は、昭和27年の火災のため資料が残っていませんが、約220年前の寛政5年(1793年)に神社を再建した時の棟札に「八五郎 餅米壱俵」の記載がみられるので、そのころすでにもちつきは行われていたのではないかと言われています。

「千本もちつき」は、建物や堤の工事などの時の「土がため」のようすをあらわしているともいわれますので、この昔ばなしとの関係もあったのかな、などといろいろ思いをめぐらすことができます。

 

地元に伝えられている格言です。

「もちつく家はもちゃつかん。もちゃつく家はもちつかん。」

※「もちゃつく」とは「もめごとがおきる」ことの方言です。

 

家族や地域のひとびとが心を合わせて、「千本もちつき」のようにお互いに助け合っていくことが大切だと教えてくれます。

 

 

 

 

「赤石・千本もちつき」と「潮垣(しおがき)」のおはなし

今年は、当初心配していたよりも雪が少ないですが、まだ寒い日が来ることも考えられます。
但馬地域の国道の状況は、「豊岡河川国道事務所」のホームページ をご覧ください。

 

 

 

豊岡観光協会のフェースブックものぞいてみてください。豊岡の話題や、積雪情報などを、随時更新してお知らせしています。

 

 

最近では珍しくなった「千本もちつき」が、豊岡市赤石の兵主神社で行われます。

 

 

2月16日(日)、朝早くから地元の氏子たちが、五穀豊穣・無病息災・家内安全などを祈願しながら、1回に4斗を蒸すことができる大きな蒸し桶でもち米を蒸しあげ、午前10時ごろから4人のつき手が、順序良く「ホイ、ホイ」と気を合わせて、棒状の杵を使ってつきあげます。

 

写真は、以前のもちつきのようすです。

 

 

 

 

 

 

もちつきに先立って、氏子たちによりお堂のまわりを回って、千本のお札を納める「おせんどさん」とよばれるお参りがあります。

 

 

つきあがったもちは、あんもちにして神前にお供えし、11時ごろから神事が行われます。

 

 

 

 

神事が終われば、あんもちを各家庭に持ち帰って、家族みんなで健康と安全を願いながらいただきます。

 

神社の参道横には、「赤石」という地名のもとになったといわれる「赤い石」がみられます。

 

 

 

この地域には、「潮垣(しおがき)」の昔ばなしが伝わっています。

 

近年まで、円山川に近いこの地域は、深い沼地の田であり、現在のように土地改良がされるまでは、腰まで泥につかりながら「田舟」を使いながら苦労して稲作をしていました。

 

その昔のお話です。

 

毎年、夏になり日照りが続くと、円山川から海の塩水が上がってきて、田畑が枯れてしまい、農民はみな困っていました。

 

ある日、どこからかやってきたおさむらいが、村人の難儀を見かね、海水を防ぐ堤防「潮垣」を作るよう知恵を授けました。

 

しかし、農民たちは生活に余裕もなく、ましてや資金もないので、誰もこのとほうもない話に乗りませんでした。

 

そこでおさむらいは、「工事にかかる金は知り合いが助けてくれることになったので、心配はいらない。」と村人を説得し、工事にとりかかりました。

 

完成間近になって村人がお金の心配をすると、「もうすぐ金がこう。(お金が来るだろう)。」といって、かまわず工事を進めさせました。

 

りっぱな堤防が完成したので、村人がもう一度催促すると、さむらいは「あれはウソだ。こういわないとだれも取りかからないので、悪いがみんなをだまして工事をさせた。」と言って、いきなり腹を切って自害してしまいました。

 

村人たちはびっくりしましたが、りっぱな「潮垣」のおかげで、今まで毎年悩まされていた塩水の心配がなくなり、おコメもたくさん取れるようになりました。

 

村人たちは、誰とも知れないおさむらいに感謝し、その霊を弔うため地元の兵主神社の境内に「若宮神社」を建て、毎年供養するようになったということです。

 

「但馬の昔話2」(加芝輝子著・豊岡市立図書館蔵)参考

 

 

兵主神社は、地元の人によると天智天皇白鳳時代の創建と言われ、醍醐天皇の時代延長9年(927年)にまとめられた「延喜式」にその名があるそうです。

 

もちつきの由来は、昭和27年の火災のため資料が残っていませんが、約220年前の寛政5年(1793年)に神社を再建した時の棟札に「八五郎 餅米壱俵」の記載がみられるので、そのころすでにもちつきは行われていたのではないかと言われています。

 

「千本もちつき」は、建物や堤の工事などの時の「土がため」のようすをあらわしているともいわれますので、この昔ばなしとの関係もあったのかな、などといろいろ思いをめぐらすことができます。

 

地元に伝えられている格言です。

「もちつく家はもちゃつかん。もちゃつく家はもちつかん。」

※「もちゃつく」とは「もめごとがおきる」ことの方言です。

 

家族や地域のひとびとが心を合わせて、「千本もちつき」のようにお互いに助け合っていくことが大切だと教えてくれます。

 

 

 

 

2019年度のイベント日程
2019年の主なイベントをお知らせします。 出石初午大会  3/15~17 出石桜まつり  3/23~4/30 出石そば喰い大会  4/21(エントリー 3/18~4/10) ほたる祭り  6月中旬 愛宕の火祭り 8月2 […]
但馬の春、節分の行事

もうすぐ立春です。今年は、当初心配していたよりも雪が少ないですが、まだ寒い日が来ることも考えられます。


但馬地域の国道の状況は、「豊岡河川国道事務所」のホームページ をご覧ください。

兵庫県の道路状況がよくわかる「兵庫県道路総合管理システム」の道路情報は こちら をごらんください。

但馬地方の雪情報は、「たじま情報特急」のホームページ、「たじま雪ゆき情報」や天気予報のページを参考にしてください。「たじま雪ゆき情報」は、こちら

 

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2月3日(日)は「節分」です。

文字どおり季節は「冬」から「春」へと移っていきますが、但馬に暮らす人たちにとっては、気持ちもひとしおのものがあります。

家庭でも「豆まき」や「巻きずし(恵方巻き)の丸かぶり」などを行いますが、各地の神社仏閣などでは「節分の行事」が行われます。

豊岡の町なかでも暮らしの中で引き継がれてきた行事があります。

豊岡市城南町(京口区)にある「京口庚申」では、「節分の星まつり」が行われます。

明け方から境内での「どんど焼き」に始まり、がん封じの「笹酒」や「甘酒」のふるまい、午後1時から「護摩木供養」の受付があります。

午後7時ころから、地区内の子どもたちを中心に、鈴とホラ貝を鳴らしながら各家庭から「厄払いの豆」を集めに市内を巡回します。

午後8時ごろから、庚申堂内で「厄除けの護摩木」の「お焚き上げ供養」が始まります。

「京口」は、豊岡の城下町から「京」への出入り口にあたることからその名がつけられたといわれます。

 

京口庚申は、庶民の信仰を集めています。

護摩木のお焚き上げ供養があります。

庚申堂の入り口には、サルの形をした石がそっと置かれています。

どんど焼きでお餅を焼いたり笹酒を温めたりしていただきます。

 

 

 

また、豊岡市中央町(寺区)の「立正寺」でも、「節分星祭」が行われます。

立正寺は京極家ともゆかりのあるお寺で、本堂の屋根瓦に「京極家の紋」があしらわれています。また、俳人「京極杞陽」の句碑もあります。

 

 

京極家家紋を配した本堂の瓦

「京極紀陽」の句碑

 

そのほかにも、各地で春を迎える行事がおこなわれます。

 

「豊岡の町なか」をぶらぶらと訪ね歩いてみてはいかがでしょうか。