ルートガイド |
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起点は生野義挙碑西側の生野マインホール駐車場。ここにある碑は、文久3年(1863)10月に起きた勤王の志士と但馬の農民が生野代官所を襲った生野義挙(生野の変)の事跡を後世に伝えるために建立されました。この変が明治維新の魁となったと伝わっています。 |
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生野義挙碑から生野小学校前の北国通りを北上し、生野代官所の内堀跡を通過して旧生野警察署(現口銀谷一区公民館)に立ち寄ります。ここは、明治19年(1886)に地元の大工が鉱山開発のためにフランスからやってきていた外国人技師が住む異人館をまねて建てた擬洋風建築です。正面の軒瓦下には、警察の紋章とカタカナの「イ」の文字を組み合わせた生野町の旧町章が残されています。 |
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旧生野警察署から御領所通りを北上すると、寺町通りにあたります。ここは、宗派の異なる8つの寺が連なった地区で寺町と呼ばれています。劣悪な作業現場で働いた坑内作業者の多くが短命であったこと、鉱山に全国から多くの方が集まったことなどからいろいろな宗派が生野に必要だったことなどが、寺町形成の由来とされています。 |
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寺町通りから御領所通りを南下し、小日向通りを東に進むと国の登録文化財に指定された旧地役人邸宅を数件みることができます。旧地役人の邸宅には、独特の風合いの生野瓦が吹かれていること、大阪出格子という格子があること当時の移動手段は馬であったことから、馬をつなぐために玄関前が広く取られていることなどが特徴の作りとなっています。 |
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旧地役人邸宅を見ながら、本町通り(銀の馬車道)に出て、西向きに進むと江戸時代に郷宿と掛屋を兼務した町屋である佐藤邸を通過し、生野まちづくり工房井筒屋(旧吉川邸)に向かいます。佐藤邸や旧吉川邸は「郷宿」で、江戸時代にあった半官半民的な宿のことで、生野代官所支配下の遠い村の庄屋や村役人たちが、代官所などへ用事で来たときにいろいろと世話をしてくれる宿のことです。また、井筒屋では地元の奥様方が手作りで作成したクッキーや小物も販売されているほか、定期的なイベントの拠点にもなっています。 |
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井筒屋から宮町通りを通って、姫宮橋付近からトロッコ道を眺めてもらうと、大正19年(1920)、金ヶ瀬坑道から支庫(旧生野駅)まで市川沿いに鉱石輸送のための電車占用道が建設されました。トロッコ道の石積みには、生野平城の石垣の石も転用されているほか、部分的にアーチ上にデザインされており、日本近代化における土木構造物として評価されています。 |
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トロッコ道を見た後は、宮町通り、鍛冶屋町通りなどを通過し、生野マインホール駐車場へ戻ってきます。
(※50分から1時間のコースですが、お客様の要望によってルートを変更することは可能です) |